10月15日、第93回東京箱根間往復駅伝競争予選会が陸上自衛隊立川駐屯地~国営昭和記念公園までの20kmで開催されました。今大会は1・2年生が主体の若手チームで挑み、以下の結果となりました。
当日は、現地での声援やテレビの前での応援をいただき、ありがとうございました。
これからも、現役学生へのご支援よろしくお願いします。
・総合成績(参加50大学)
39)11.32.52.(平均69.17.2)
・個人成績(完走者584名)
310) 65.37. 川口 文岳(B類社会2年)
331) 66.12. 黒島 永竜(A類保健体育4年)
427) 68.29. 小原 成(A類社会4年)
434) 68.39. 原田 雄太(A類保健体育2年)
462) 69.36. 杉森 亮太(B類保健体育4年)
468) 69.48. 入野 翔太(A類理科1年)
489) 70.18. 鈴村 公輔(E類生涯スポーツ2年)
508) 71.06. 中島 福尚(A類理科1年)
516) 71.28. 志摩 亮彦(A類保健体育3年)
524) 71.39. 長野 朋宏(A類国語1年)
543) 72.24. 山口 希望(E類ソーシャルワーク2年)
569) 74.39. 大川内 明(N類生涯学習4年)
*補欠 白土 航大(A類情報教育2年)
*補欠 見澤 卓(A類保健体育2年)
詳細については、関東学連HP等でご覧いただけます。
-深澤泰 獅友会長雑感-
昨年までは高校生の陸上指導をしていたために、予選会の応援に行くことができずにいましたが、今回、久方ぶりに観戦させていただきました。
自衛隊立川駐屯地をスタート地点に、50チームが参加し、有吉正博関東学連会長の号砲のもとで箱根駅伝本戦出場の火ぶたが切られました。
今回は、大正14年から連続本戦出場をしている中大の連続出場の可否に注目が集まるなど、マスコミでも大きく取り扱われ、各大学関係者以外にもたいへんに多くの駅伝ファンが詰めかけました。
中大卒業生だけでも数百人くらい集結していたように思えます。
私事ですが、大正14年は、私の祖父が9区を走った年です。当時は数校の出場でもちろん予選会はありません。そもそも箱根まで満足な道があったのだろうか…とさえ思ってしまう時代のことです。それは置いておいても80年間以上も連続出場していることは快挙であり大学陸上に関わる者として尊敬に値する功績です。
応援しながら、近年のマスコミをも巻き込んだ箱根駅伝ブームや学生長距離界のレベルアップについて考えてみました。
箱根駅伝に私立大学が挙って力を入れるようになったのは、我が国の「少子傾向の深刻化」と符合します。
戦後日本の合計特殊出生率は、概ね3つの段階を経て現在に至っていると言われています。
第一段階は、1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)の第一次ベビーブーム以降の急激な出生率低下時期。
第二段階は、1960年代~1970年代半ばの時期。
第三段階として、1974年のオイルショック以降現在に至る時期です。
第二段階まででは「一時的な少子化」なので、私学の危機意識もそれほどではなく、箱根駅伝も過当競争となるには至らず、予選会はあったとは言え落選校の方が少なかったり、短距離選手らが借り出されるなど牧歌的な時代でした。
しかし、第三段階以降は出成率回復の目処はなく、深刻化の一途を辿る時期に突入したと言えるでしょう。
「私学」は、この迫り来る学生減少による経営圧迫を回避するために、施設の新規拡充、共学化、付属校・提携校増設、学部・学科新設・改編、入試制度改革、特色化などのさまざまな「先手」を打ち始めました。
箱根駅伝もその「ツール」として「選択と集中」による莫大な経費投入により「正月の風物詩」とまで呼ばれる国民的行事にまで肥大化したのです。
私が大学を卒業した頃には既にこの傾向は顕著となっており、テレビの完全生中継がさらに拍車をかける形になりました。
本学直近最後の出場となった第60回大会の際には、氏家先輩(47年卒)の箱根にある会社施設に同級生・後輩ら大勢で宿泊させていただき、各区間を応援してまわることができました。当時は、中継地点に走り込んでくる自校走者の「受け止め」は各校関係者が行っていたので、私は同期の吉田省三君と7区中継地点で6区山下りを中大と併走して来た野口充康選手を毛布で受け止めました。シューズが赤く血で染まっていて、脱がすと足底のほとんどの皮がめくれていて山下りの過酷さに驚きました。現在では、学連補助員が受け止めを行っているので、このような経験は貴重に思えます。
箱根駅伝の分析や昔話になってしまいましたが、今後も「新規参入」や「復活」を目指す大学は少なくはありません。ある古豪大学が復活を目指して400万円の寄付を集めたそうですが、古豪であっても相場からすると1桁も足りないというのが現実です。
かなり以前の話ですが、箱根駅伝参入請負人的な人物の話では「完全新規参入」ならば「億単位は常識」と言っていました。「大学の浮沈」がかかっているのですから妥当な金額です。
オークションと同じで競争原理が働くと「選手相場」も高騰します。今回の結果から言うと中大は11位で「伝統」は途切れました。10位の日大との差は端的に言って「黒人選手の有無」と分析します。予選会参加校と結果・記録をご覧下さい、隔世の感として驚かれることが少なくないと思います。
近年の予選会激化によって、予選会参加記録が設定され、前述のように何万人もの応援を受けてのレースとなり、舞台としてはインカレや日本選手権以上と言えます。従って、対校戦で活躍できない選手にとっては「予選会出場」が大きな目標になると同時に、予選会を走れただけで満足してしまう傾向があると嘆いてる大学関係者が少なくありません。
「千里の道も一歩から」ですから、予選会参加を「通過点」としての目標にすることに問題はありませんが、「自己限定・自己満足」は「成長の妨げ」にしかなりません。大事なことは、予選会に対する「向き合い方」、「意識の持ち方」であろうと思います。
予選会の「上」には、本戦出場の上位10大学があるのですから、予選会の順位に10を加算しなければ関東での実質的な順位にはなりません。
本学の場合は、学連選抜を含む本戦出場を目標する前段階として、多くの課題や目標があります。まずは、身近な国立大学勢に負けないための方策を模索するところからの出発かと思っています。確かに「ヒト・カネ・モノ」は絶対的に不足しています。しかし、選手たちは今回のレースからさまざまな課題・問題点を「宿題」として持ち帰りました。これが、今後の競技生活に活用されることを期待しています。
最後に、応援に駆けつけてくださいました多くの卒業生のみなさん、今後とも叱咤激励とご支援のほどをよろしくお願いします。