獅友会とは

獅友会の発足と経過

東京学藝大学設置と陸上競技部発足

昭和24年(1949年)5月31日、法律150号:国立学校設置法によって、学藝学部の学科大学として東京学藝大学が設置された。そして昭和24年(1949年)6月8・9・10日に第1回昭和24年度入学者選抜試験が実施され、昭和24年7月18日世田谷分校講堂で第1回入学式を挙行し、昭和24年9月5日から授業が開始された。

当初は、世田谷分校、小金井分校、大泉分校、竹早分校、追分分校、調布分教場がそれぞれ置かれ、第一師範・第二師範・第三師範・青年師範の各師範学校は、昭和26年(1951年)3月までに学藝大学に包括され、各師範学校の陸上競技部を受け継いで、各分校毎に東京学藝大学陸上競技部として活動を開始した。

獅友会の名称由来

陸上競技部OB会の結成は、昭和29年(1954年)東京箱根間往復駅伝競走に出場を獲得し、参加費用の援助体制をとる段になり、OB会名簿を作成し、組織することになったことが始めである。

名簿作成に当たっては、学藝大学の母体である各師範学校の陸上競技部のOBの方々にお願いし、青山師範、豊島師範、大泉師範、青年師範の各先輩の方々の偉大な尽力があって、昭和29年(1954年)12月1日現在を以って、初めて東京学藝大学陸上競技部先輩名簿が発行され、OB会組織の基盤が築かれたのである。

昭和29年(1954年)は取り敢えずOB会名簿で歩みはじめたが、陸上競技部在籍の卒業生が多くなってきて、強固なOB会組織づくりの気運が熟し、規約・組織・役員等を完全に整えて、従来のOB会を昭和33年(1958年)12月6日「獅友会」と改称した。以来、東京箱根間往復大学駅伝競走を昭和36年(1961年)まで連続、昭和59年(1984年)記念大会と出場を重ねるに至って、OB会名簿は年々増大、充実していき、今日に至っている。